2月17日

 97歳・84歳・82歳・80歳のお年寄りばかりの家族が、身を寄せ合って暮らしていた近所の方が、突然、引っ越しのご挨拶にみえた。毎日デイサービスの車が97歳のおばあさんを迎えに来て、84歳と82歳の御夫婦が、いつもありがとうございますと云いながら送り出していた。軽い知的障害があり、結婚しなかった80歳になるご主人の弟さんが、買い物や、お掃除、ゴミ出しを一手に引き受けていて、外目には、さほど困っている様子ではなかった。どうして引っ越しをしなければならないのだろうと、思った。奥さんの説明によると、大震災の時、屋根が壊れた。地震保険があったので、知り合いに紹介された業者に修理を頼んだが、三年も経たないうちに、雨漏りがしだしたのだと云う。その業者には連絡が取れなく、どこに行ってしまったかわからないと云う(震災の前後には、こうした悪徳業者が、はびこっていたんだろうな)。ご主人は、肺がん手術後の身体で、奥さんは心臓が悪く無理がきかない身体だ。4人の年金を寄せ集め、やっと暮らしている状況なので雨漏りの修繕費用はどこからも出ないので、ある不動産屋の紹介で間借り生活をすることになったのだそうだ。家を売って暮らしていくしかないのだと云う。不動産業者は、足元を見て、かなり安く買い取ったと聞く。

2月18日 

東京に住んでいる知人から電話が来た。彼女は、甲状腺がん手術後メンタル不調となり、以前、正職員として働いていた小さな薬局での仕事をやめざるを得ず、点々と仕事を変えパート職員に甘んじていた。その後頑張って、医療事務の資格を取り正職員として、手広く高齢者介護サービスを経営している事業所の事務を任されて5年、順調に生活しているかに見受けられた。しかし、がんの再発により、再び手術を受けることになった。上司に申し出ると、いったんは、仕事を辞めてほしいと勧奨され、その代わり、働けるようになったら、系列の事業所を紹介するとの話をされたという。彼女は、手術がうまくいくかも分からない不安の中で、迷惑をかけるわけには行かないと、その話をのんだ。そして、手術後、彼女は希望をもって新しい職場に出かけた。待っていたのは、まさに、ブラック企業、ろくに仕事の内容を教えもせず、過重な仕事を押し付けられる。初めての仕事なので、解からないから聞くと「歳ばかり食ってこんなことが解からないのか」とか、「結婚してない人は、だからだめだ」などと、関係のないことまで言い出すいじめが続いたという。彼女は独身で、働かなければ食べていけない身だ。しかし、ハンデを負った体なので何を言われても我慢するしかないと、懸命に頑張った。仕事ができないことで、自分を責め続けた。そして、ついに、彼女は、精神を病んでしまった。電話の向こうで、ごめんなさい、ごめんなさい、もうだめだ。と叫んでいる。パニック症候群のようである。過呼吸になることも多いと、七十歳を過ぎた母親が心配をする。真面目に働いてきた人を追い詰めていく厳しい社会の中で、切り捨てられる中高年の人が、増えてきている。人ごとじゃない。

 

2月19日

 新宿NSビルでのパネルディスカッションに参加した。「共生社会-障害者支援の現場は、何を目指すのか」というテーマだ。一言で共生社会と言ったって、語れるものではない。パネリストとして、「まず、差別をなくさなければ、共生社会とは言えないだろう、しかし差別はどこにでもある、内なるものを覗いてみても、ゴロゴロある。無意識で差別をして、人を傷つけている場合もあることに気付かなければならない。しょうがいがある人々の人権は長い間無視されてきた歴史がある。ことに、知的しょうがいがある人は、支援なしでは、一人でできないことが多く言葉で表現できないために、意思がない人として無視されてきた。そして、保護、もしくは、社会防衛的な施策として、入所施設に隔離されてきた歴史を直視しなければならない。地域で当たり前に暮らすことが許されなかったのだ。その現実に、本気で我が事として闘う周りの人がいなかった、むしろ、その現実に疑問を感じることもなく、よそ事として、受け止めていた人が多かったのだろう。だからこそ、我が法人は、彼らが、地域社会で生きるための資源を作り続けている。そして、地域社会の人に、障害があろうとなかろうと人は個人として同じ価値があること知ってもらうために、交流行事に取り組み、セミナー、上映会などの啓発活動をしていること」を話した。共生社会は、国の号令で簡単に実現することでない。国民一人ひとりの意識改革が必要で、当事者運動も含めての、長いスパンでの地道な運動を続けていくしかないのだろうと確認し合ったのである。

 その帰り道、新宿駅西口に向かっていた私は、反対方向に走る道路の衝撃的な光景に目も耳も奪われた。大音量で走る街宣車とバカデカイ旗を振り回してのヘイトスペーチ。在日韓国人は出ていけ、などと連呼している。テレビのニュースで見たことはあるが、間近かに見るのは初めてで、びっくりして振り向いたら、歩道の段差につまずいて転んだ。両手に荷物

を持っていたせいか変な転び方をして、思いっきり両膝と左頬をコンクリートに打ち付けてしまった。痛いのも忘れて怒りが込み上げてきた。民族差別を煽る憎悪表現をする人たちは、どういう意図で、このような卑怯な行為をするのだろう、昨年6月にヘイトスピーチ対策法が施行されたのに、何の役にも立たない。人を差別する人たちは、立場が逆だったらどうなのだろう。想像力を働かないのだろうか。自分がしてほしくないことは、するべきじゃない。違いを認め合う寛容さがなければ共生社会はつくれないのに、・・・などと思いながら、足を引きずり、ズキンズキンと痛み出した頬っぺたに手を当て、お岩さんのような形相で帰路についた。