「地毛証明書」提出制度っておかしい

   一人ひとりの意思や、ありのままの姿を尊重したい

 

    東京都立高の約6割がこの制度を導入していると云う。なぜそこまでしなければならないのだろう。戦後の民主主義教育で培ってきたものは、個性の尊重であり、憲法でも表現の自由を謳っている。髪形や服装などは、究極の自己表現であり、他人にいろいろ言われたくないと思うのが普通だろうに・・・・。確かに、思春期特有の自己主張は、目立ちたいが故の過激な表現になりやすい。ポップな髪形をしたくて、髪を染色し、パーマをかける生徒もいるが、それがなぜ悪いのだろうと思う。多くの都立高は禁止していると云う。朝日新聞(‘17.5.15)の記事によれば、世田谷区の都立高の担当教諭は「染めているのに地毛だと言い張る生徒がいるので、保護者の責任で証明してもらう」と話したとのこと。染めるのを禁止しなければ、多くの生徒は嘘をついてまで染めない筈だ。多くの読者の方だって、思い当たる節があるだろう、思春期の頃は、何でも、禁止されればされるほどしたくなる心理が働くという事を。それは、自立への一歩だという事を。地毛かどうかを、保護者の責任で証明してもらうとあるが、それでは、頭から生徒を信頼していないことを示すもので、教育が成り立つはずがない。東京都教育委員会の指導主事は、「生まれつきの髪かどうかを見分け、間違って指導し、生徒に嫌な思いをさせないための方法としてはあり得る」と言っているとの事。誰でも最も嫌なのは、信頼されず、自由を奪われることではないだろうか。一体、指導って何だろう。生徒自身が、何が適切かを考え行動するようになるのを信じてやることはできないのだろうか?子どもの権利条約も批准され、選挙権を18歳から与える時代に、逆行していないか?黒髪短髪、ストレートという髪形に拘る前に、多様性を認めあうグローバル教育に力を入れてほしいものだ。

 

 さて、長々と地毛証明書問題についての私論を述べたが、しょうがい者の世界だって、同じだ。しょうがい者も一人の国民なのである。憲法13条には「すべて国民は、個人として尊重される。自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法そのほかの国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。しょうがいのある人も、意思があり、いろいろな思いや、願いを持ち、自己表現をしている。言葉も思うように使えず、体も意思通りに動かない中でも、解かりにくいが、精一杯の自己表現をしており、周囲の者が彼の心に気付くことを願い、そしてその思いの実現のための支援を待っているのだ。

 つどいの家は、本人の意思に寄り添い、本人の意思に従った支援を目指している。しょうがいがある人が、日常の不自由さに萎縮してしまわないで、のびのびと自己表現ができるようにと願っている。